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イギリスの犯罪

www.independent.co.uk

 

YouGov found 44 per cent were proud of Britain's history of colonialism, with 21 per cent regretting it happened and 23 per cent holding neither view.

The same poll also found 43 per cent believed the British Empire was a good thing, 19 per cent said it was bad and 25 per cent said it was "neither". 

 

西洋に学べ…とだけ言っている人たちは、その欺瞞をなんとかしないと、本当に単純な右翼に乗っ取られていくでしょう。

まぁ戦争に敗ける、っていうのはそういうことなんでしょうね。

イギリスが戦争に敗けていたら、日本人はここまで考えなかったでしょう。結局、同じ人間で、自分の過ちは見たくないし、相手のはいくらでも覚えているもんです。

Things We Wont Say About Race That Are True - 2015 Documentary

www.youtube.com

 

日本でも、海外でもメディアのありかたへの疑問はたくさんあります。

これは人種に関しての報道の在り方についての番組です。

 

今の時代は

白人は黒人を批判できない。

 批判をしたら、レイシストと呼ばれるからであって、

まさに言論は委縮していっている

 と、イギリスの現状を紹介していることです。

 

フェミニズムもそうでしょう。

フェミニズムの議論の一部に賛成をしていても

女性優位主義者/男性差別主義者の議論には反対をしている男性も

恐らくその人は女性差別と言われるのを恐れて、何も言わないでしょう。

そして実際になにも言えない空間はできあがってきています。

 

もちろん、本当にレイシストで黒人を馬鹿にする人もいるでしょうが、

そうじゃない理由でも議論をしようとしている人の自由さえも奪ってしまいます。

自由を奪ったときに来るのは、反動が当然出てきます。

そして、その反動を押さえるためには、もっと自由を抑圧しようという動きがでてきます。勿論、それに対してはもっと強い反動がでてくるでしょう。

この負のサイクルこそ、まさに今の世界の政治現象の裏側にあるものです。

 

そして、難しいのは、この言論の自由を抑圧している人(いわゆるリベラル)たち

は自分達はいいことをしているのだと固く信じていて、

そして、実際に悪いことをしたいと思っているわけではないことです。

 

 

ただ、それこそが全体主義の特徴です。

全体主義は、それを善意で進める人たちの協力があって初めて成立するものです。

 

ただ、問題は簡単にメディアが悪いといえば解決するものでもありません。

実際に、メディアの現場でこの苦悩をまさに味わっていて、なんとかしたいと思っている人たちがたくさんいることを忘れてはいけないでしょう。

 

 メディアに現れるのは、その時代の社会の人々の認識の総決算です。

メディアにでてくるのは、特に主流メディアにでてくるのは、

その社会の結果であって、結果を批判するだけでは変わらないのです。

 

結果を引き起こす根本原因は、メディアを叩くだけでは解決しないのです。

メディアに問題があると、気が付くことはとても大事な事ですが、

解決方法は、メディアを叩くだけでは、足りないのです。

 

もう一歩、二歩、深いところまで考えないと、問題は解決しないのです。

ジョン・ピルガー

www.youtube.com

 

このような番組をNHKがやることは、絶対にないでしょう。

なににせよ、予算を国会で決めていて、未だに放送法・電波法を国で管理している国においては言論の自由など、ただのお題目なんでしょう。

 

ウィキリークスに関する報道も、セス・リッチに関する報道はどこもやっていません。

どれだけ、自由を無駄にしてしまっているのでしょうか。

 

悲しいことです😢

井上陽水と尾崎豊

私は二人とも好きである。

 

しかし、対照的だ。

一人は未だに67で現役で歌っており、もう一人は26で酒の飲み過ぎでこの世を去ることになった。

 

井上陽水の『My House』を聞いているときに、

二人の違いがどこにあるのか、自分なりに分かった気がする。

 

『My House』は完全に、ある意味では、ふざけている曲ともいえる。

普通に聞こうとしても、意味は全く繋がらない。

『俺はシャウト』と同じように、言葉で遊んでいる。

 

いい方向に頭が狂っている人が好きな人にはよい曲だと思う。

一体この世の中で、全く順応している人には、機械的なものを感じてしまう。

 

そんな『My House』で、見つけたネタは

 

俺の悲しみは Maman-

雪の白アリはわからんム

 

という、意味不明な箇所である。

基本的に、この歌の大意を取ろうとすれば

ロックビジネスのなかで、俺の曲もヒットするために書いているような

そんな中で歌をやるのも、もう疲れたし、やりたくもない

 

ということだろう。その悲しみは、

 

Maman-

雪の白アリはわからんム

 

ということだ。

 

もちろん、歌詞だけでは意味は伝わらない。

どのような曲に、どのような声で、どのようなピッチで歌っているかを含めて

意味が構成されるので、そこは各自で聞いてみてほしい。

 

とにかく、陽水はこの状態を、なんとか笑い飛ばすことができたのだ。

陽水も薬をやったが、まだ元気にできている。

 

尾崎にはそれができなかった。

尾崎には『My House』を歌うことはできなかっただろう。

 

この違いこそが、

井上陽水が好き

というときと

尾崎豊が好き

という、ときに持つ意味の違いだ。

 

そして、ここの尾崎の陽水との在り方の違いこそが

彼を熱狂的に慕うものがいるのと、

彼を気持ち悪いと毛嫌いするものがいる理由だ。

私見では、どちらも尾崎は嫌だったろう。

 

熱狂的に慕われると、重すぎる。

しかし、責任感があまりに強すぎる人間はそれを断れない。

人間には背負えないものを背負おうとしてしまう。

嫌われ、罵倒されるのは

感受性が豊かな人間には耐えることは難しい。

さらに言えば、自分に対して不信があるからこそ、

その不信が頭を擡げてくるからこそ、苦しむのだ。

 

それこそ、尾崎が死んだときに

正直、俺ホッとしたよ

 

と、ある人に言わせた理由も、

彼がこのような人間で、つねに不安であったからだろう。

絶対的に頼れる何かが彼には必要だった。

 

しかし、絶対的に頼ることのできる人間などいない。

あまりにも、重すぎるのだ。

人間には不可能なのだ。

 

しかしそういう対象を見つけられない限りは、

自己否定(世界嫌悪)の極地である鬱病になるしかなかった。

あるいは、薬か酒に走るかしかなかった。

とんでもなく苦しかっただろう。

 

尾崎の重さは『核(core)』にみえる。

こんな曲は、生きてくる中で

大きな精神的危機を迎えたことがないものには理解不能だろう。

更に、このような人間の根底に横たわる問題を見ないように、封印した人間には

この問題を再び眼の前に突きつけられることは不快なことだっただろう。

 

しかし、この文章もあれだ。

よく意味が分からなくなってきた。

 

纏めてみよう。

 

尾崎は、人間にとって最も重要な問題に苛まれ続けた。

あるいは、どこまでも誤魔化さなかった。そして苦しんだ。

陽水は、それを同じように苦しんだが、

あるところで打ち切って、笑い飛ばすことにした。

 

この違いだ。多くの生きる人は、後者だろう。

尾崎が嫌われる理由の一つは、

その打ち切りかたを否定したからだ。

あるいは、彼はそのように生きており、

それを歌にしたから、嫌われているのかもしれない。

そして、彼のことが好きな人は、

だからこそ彼が好きなのだろう。

 

 

ちなみに、この文章での尾崎豊も、井上陽水

私のなかでの勝手な像であって

現実とは全く異なっているかもしれない。

それでも、言いたいことは伝わるだろう。